ご心配をかけてしまい申し訳ございません。
この件についてはここ数ヶ月というか
数年悩んできたものであって、
急にここに来て沸いてきた物ではありません。
少しここでまたお話させて頂きたいと思います。
一人一人にお返事を書きたい所なのですが
時間が追いつきそうにないので、
ここで返信とさせて頂くことをご了承下さい。
申し訳ございません。
この件については、心の葛藤の連続でした。
この世からきれいサッパリ抹消してしまいたい、
学会は私の中でそんな団体に成り下がっていました。
そういう真っ黒な気持ちを持つと同時に、
学会の存在意義を見ないようにしていました。
学会のイヤな所ばっかり追求しました。
私にとって最低な団体ですから。
しかし実際問題、私を温かく見守ってくれる人が
100人に1人くらいはいるのです。
いまだに私に突っ込んだ介入をせず、
見守り続けてくれる人がいるのも事実なんです。
どういう風に接して欲しいのか、
わかっている人がいるんです。
表面的なバリとは対極の行動です。
そういう人の存在を、無意識に否定していました。
否定していると、ラクなんです。
悪いところばかりつつくのは簡単だから。
私自身思うのは、学会では精神的に悩む人が多く、
今でも一刻も早く学会なんてなくなってしまえと思います。
けれど、人間対人間という関係となると
一様にその人まで居なくなれなんて思えないのです。
今私を見守ってくれる人というのは
勿論もともと持っている性格などもあると思いますが
学会で何かを感じ、学んだ所があるのかもしれません。
そう思うと、学会の存在意義を全部は否めません。
仏法に関連付けての存在意義はお話できません。
まだまだ心の整理が必要と思います。
しかし人としての意義を考えた時、
ほんの少しだけわかったのです。
私の中の学会はどんどん奥が深くなるばかりです。
だから表面的な情報だけで判断はしたくないなと。
本当の本当の一番核になるのはどこなのか。
マトリューシュカみたいにどんどん剥していったら
とんでもない物が現われるんじゃないかと思う。