少し前に共依存のお話をしましたが、
ここでまた少しお話します。
確認の為、<共依存>の定義。
「自分の存在を他人から認めさせるために
お互いが負の要因で依存しあっている状態」。
例として、
アルコール依存症の夫が
妻に世話してもらいたい為に暴力を振るう。
妻は暴力を振るわれるが、世話をするのを生きがいとし、
暴力をないものとしてしまう。
そういう歪んだ依存関係です。
学会は大きな共依存の団体です。
自分に足りないものを祈ることで得る事ができると信じ、
祈ってどうにもならないと薄々気づいて居るにも関らず
お互いに励ましあって依存しています。
最終的にどうにかなる時は、会員の物理的な助けです。
誰かが自分の補完をしてくれると思っているので、
恐ろしく強固な連帯感があります。
悩んでいる人などは共依存の輪に入りやすいので、
その心の隙をついて勧誘します。
「悩んでいる人を目の前に!」と祈っている人もいます。
組織内では折伏が一番の功徳になると指導され、
それが折伏された者にとって真に幸せになるか否かは
私が聞いた所では「絶対にそうなる」と言い切られますが、
実際問題として私が幸せな体験をしていないので、
それはウソっぱちという証明です。
よくお見かけする「罰が怖くて逃げれない」というのは
その共依存の輪の中にどっぷり浸かっているからです。
依存する為に互いに刷り込まれてしまった脅しから
どうにも逃げれない状況になってしまっているのです。
共依存から離れるのは、大変な事だと思います。
個人の強い意志が必要です。
実際私は「罰くらい当たってやる」位にまで来なかったら
ハッキリ言って共依存からは抜け出せませんでした。
今は完全に共依存から抜けることができたと思います。
そうできたのは自分への言い聞かせの反復の賜物でした。
とにかく自分をここまで追い込んだものに価値は無い、
もし価値あるものなら組織を離れた私に罰があたるはず、
自分自身が「実験台」になるつもりでした。
それを毎日自分に言い聞かせ続けました。
事実を突き止めるには自分が実験台にならないといけない、
身体を張って自分の人生を切り開いていこうと
思って実行した結果が、今の肩の力が抜けた状態です。
学会で言われる事一言一言は、一見明るそうだけれど、
「全てネガティブ」と思って間違いない。
世界平和も、人間革命も、全部学会の存続の為であり、
個人が成長するというものさしでは言われていない。
だから成長できると信じて実行した挙句に
精神を病んだり、健康を害したり、周囲に迷惑をかける。
ここまで組織が荒廃してしまった以上、
「崇高な法華経を広める」という目的ももう薄い。
成長は健全な環境で、健全な精神にのみあるものだ。
共依存から離れるのは、健全な目標への一歩だ。