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2009.1.3. リンク切れを整理しました。
2007.9.10. リンク切れを整理しました。
2007.3.12. リンクを追加しました。
2007.3.6. リンクを追加しました。


2005年05月27日

しばし休養します

読んで下さっている皆様

勝手ではございますが、少しの間休養します。
趣味や習い事で忙しく時間が取れない、等等
自分の時間を優先するためと、
いろいろと将来についての事など
考えてみたい事があるからです。
ゴールデンウィーク前に宣言をしていたのですが
やはりキッパリ休養宣言しないとダメな様です。

また、自分のアイデンティティーの問題は
やはり文章や言葉では上手に表現ができません。
もっと奥の深い、深い所よりも更に深い、
もう既に私はそういう物を追求する段階まで
たどり着いてしまっていると感じています。
今までの考えは上辺だけのものだったと
現在は感じながら毎日考えています。

ちまたでは「好きな人が学会員だから?」という
憶測をしている方もいらっしゃるようですが、
申し訳ございませんが、それは一切ありません。
学会員と交際したらどれだけ自分が傷付くか
隅から隅まで理解しているからです。
学会員との付き合いは、恋人、友人に関わらず
私の様な人を除いて全面放棄しています。
学会は私にとっての「毒」です。
毒の溜まり場に恋人など作れるわけがありません。
勿論、活動には生まれ変わっても戻りません。

ということで、またいつかお会いしましょう。
posted by ありさ at 10:13| お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月26日

負けて勝つ

私は「負けて勝つ」という言葉が好きだ。

その時は負けたように見えても、
ちょっと一歩下がって現状を見てみたりすると
相手の責めるべき弱点とかが結構見えてきたりして
あっけなく勝ってしまうのだ。
「負けてみないとわからない冷静な判断」。
私に必要なのはこのプロセスだと思った。

私は学会の中の常識に潔く負けてみた。
そういう考えを持ってる人とはやっていけないと
とりあえず相手をレスキューするなんて考えもせずに
軽く身を引いてみたのだ。

そうしたら学会からアクが出てるのがしっかりわかった。
この目で、この頭でしっかり確認できるアクだ。
水に浸さないで煮込んじゃったゴボウ鍋!
冷静になるってこういうことだと思った。

「負けて勝つ」ってこういう事なんだなと思った。
その時はちと悔しい。でも長い目で見ると勝つのだ。
昔、修行というものは長い目で見ないといけないと言われ
恐らく福運を積めば来世で裕福な家庭に生まれるとか
そういう類の指導だったと思う。
まあ、仏法の観点から言えばその通りだと思うが、
今の学会、本当に正しい修行をしているのか疑問なわけで
それだったら信じられるものを他に作っても全然いい。
今を生きる生活だったり、古典宗教だったり、
その人なりの信念や信条を1番に持ってきても構わない。

私は「負けて勝った」と思っていたが、
刷り込みから抜け出して個人の生活を手に入れた、
最終的には「勝って勝った」、ダブル勝利である。
posted by ありさ at 09:40| リハビリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月25日

幸せになる資格

私は2世・3世こそ、幸せになる資格があると思う。
生まれながらに信教の自由をなくし
自分の意思で生きていく自由をなくしているのだから、
その分は倍返しで幸せになってもいいと思う。

学会の組織の中で幸せと思っている福子には
もう私も何も言うまい。
そして非活動宣言をした福子には、
もうそっとしてもらいたいと思う。

学会員だって幸せになりたくて活動をする。
やめていった人は幸せになりたくてやめるのだ。
求めているものは同じではないか。

幸せに上下も優劣も無い。
学会員にとっての幸せが先生の正義だったり、
広宣流布だったり、修行だったりしても、
私にとっての幸せは毎日普通に生きることだ。
それぞれの価値観があるのだ。
それを押し付けるのは同じ人間としてナンセンスだ。
posted by ありさ at 09:33| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月24日

共依存から抜け出そう

少し前に共依存のお話をしましたが、
ここでまた少しお話します。

確認の為、<共依存>の定義。
「自分の存在を他人から認めさせるために
お互いが負の要因で依存しあっている状態」。
例として、
アルコール依存症の夫が
妻に世話してもらいたい為に暴力を振るう。
妻は暴力を振るわれるが、世話をするのを生きがいとし、
暴力をないものとしてしまう。
そういう歪んだ依存関係です。

学会は大きな共依存の団体です。
自分に足りないものを祈ることで得る事ができると信じ、
祈ってどうにもならないと薄々気づいて居るにも関らず
お互いに励ましあって依存しています。
最終的にどうにかなる時は、会員の物理的な助けです。
誰かが自分の補完をしてくれると思っているので、
恐ろしく強固な連帯感があります。

悩んでいる人などは共依存の輪に入りやすいので、
その心の隙をついて勧誘します。
「悩んでいる人を目の前に!」と祈っている人もいます。
組織内では折伏が一番の功徳になると指導され、
それが折伏された者にとって真に幸せになるか否かは
私が聞いた所では「絶対にそうなる」と言い切られますが、
実際問題として私が幸せな体験をしていないので、
それはウソっぱちという証明です。

よくお見かけする「罰が怖くて逃げれない」というのは
その共依存の輪の中にどっぷり浸かっているからです。
依存する為に互いに刷り込まれてしまった脅しから
どうにも逃げれない状況になってしまっているのです。

共依存から離れるのは、大変な事だと思います。
個人の強い意志が必要です。
実際私は「罰くらい当たってやる」位にまで来なかったら
ハッキリ言って共依存からは抜け出せませんでした。
今は完全に共依存から抜けることができたと思います。
そうできたのは自分への言い聞かせの反復の賜物でした。

とにかく自分をここまで追い込んだものに価値は無い、
もし価値あるものなら組織を離れた私に罰があたるはず、
自分自身が「実験台」になるつもりでした。
それを毎日自分に言い聞かせ続けました。
事実を突き止めるには自分が実験台にならないといけない、
身体を張って自分の人生を切り開いていこうと
思って実行した結果が、今の肩の力が抜けた状態です。

学会で言われる事一言一言は、一見明るそうだけれど、
「全てネガティブ」と思って間違いない。
世界平和も、人間革命も、全部学会の存続の為であり、
個人が成長するというものさしでは言われていない。
だから成長できると信じて実行した挙句に
精神を病んだり、健康を害したり、周囲に迷惑をかける。
ここまで組織が荒廃してしまった以上、
「崇高な法華経を広める」という目的ももう薄い。
成長は健全な環境で、健全な精神にのみあるものだ。
共依存から離れるのは、健全な目標への一歩だ。
posted by ありさ at 09:31| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月23日

学会で失くすもの

『折伏経典』より

「仏教は勝負であるから正邪は生活に事実として
 正は勝、邪は負の現象が出るのである。」


学会のある生活って、負ばっかりじゃない?

連続する活動で自由な時間を失くし、
その為にプライベートを失くし、
新聞啓蒙・折伏・選挙支援で友達を失くし、
学会の常識に囚われ始めたら一般常識を失くし、
財務・お布施・活動資金でお金を失くし、
矛盾だらけの組織の裏で精神的安定を失くし、
忙しさ・学会の方針で自分の趣味嗜好を失くし、
反対される・もしくは2世・3世で圧迫され親を失くし、
価値観の大きな相違で恋愛や恋人を失くし、
活動での心労や忙しさから健康を失くし、
カルトではない真実の精神世界を失くし、
挙句の果てには自分を失くす。

ここへ何をどうやって足したら、正になるというのか?
posted by ありさ at 09:52| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月22日

策に走るな(?)

私が学会で耳にタコが出来るほどに言われた事。
それは「策に走るな」。

要するに、策に走るということは行動するという事で、
学会的な解釈だと"祈りが無い"ということになる。

この"自分の足で歩く事"が一番大事なのに、
その時間を割いて祈るってのは何事なのか?
現在に至り振り返ると、前に記事に書いたとおり、
題目をあげるほどにコントロールにかかるというか
どんどん学会の方向へ、引力で引っ張られる。
マインドコントロールって、本当に凄まじい。
負の遺産ばかり背負い、社会の評判も悪い学会。
その上「行動こそが大切」という真実を悟られたら
みんなきっと学会なんてサッサと捨ててしまって
明るい未来がある方を選択するだろうし、
程々に行動し、程々に祈り、程々に行動した結果として
程々に成果があがるのが、学会には都合が良いのだろう。
程々の結果だったら、もっと良くなるように祈るしね。
祈ればすんご〜い幸せになれると言っておいて、
もし程々主義がど真ん中だったら、私は本気で呆れる。
posted by ありさ at 00:00| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月21日

散財のレッスン

先日「学会の為にお金を使うのは美徳」と書きましたが
これを教え込まれた私は、かなり苦労せざるを得ない
毒抜きの毎日を送らなければなりませんでした。

そう、ネックは「自分の為にお金を使えない」こと。
今から考えると全くもってとんでもないことです。
そんななので、建築の学校へ払ったのは「治療代」で、
素直に勉強したいという気持ちではありませんでした。

確かにお金は大切です。無いと生きていけません。
無駄遣いは厳禁です。貯めないと将来が不安です。
でも「自分の為にお金を使えない」のは病気です。
使えないのと貯金することは全く違います。
手元にあるお金を何ヶ月か見続けた挙句の果てに、
私は散財のショッピングに出かけました。
「学会で使わない物」を買いに。
会合では絶対塗らないヌードな口紅、会合で着れない服、
大百蓮華も聖教新聞も入らない小さなクラッチバッグ、
ペタンコの靴、髪を茶色くするヘアマニキュア。

そして頭で考えた最大の散財は「花を買うこと」。
もちろん自分の為です。もらったら素直に嬉しいのが花。
それを自分に買ってあげることにしました。
花は2〜3日もすれば枯れ始め、跡形も無くなります。
買うことによってもたらされるのは、花の意義です。
だからこそ、自分の為に買う意味がある、と。

それから建築のクラスの後、1年程必ず花を買いました。
始め、枯れる花をなぜ買い続けるのか、随分抵抗があり、
でも何か変わるのではないかと自分の変化を期待しつつ
自分で自分の様子を観察。
面白い事に、家に居る時間がかなり長い為か
徐々に花を自分の部屋に飾るのが好きになってきて、
家に居るのが苦痛でなくなってきました。
花は私の部屋に来る為に茎を切られたのだと思うと
その為にも元気にならずにはいられないと思ったりして。
家に居ると、どうも息が詰まってダメでした。
みんな友達と外で遊んでるのだろうなとか、
そんな他人の楽しそうな事を羨んでは、自分を責めたり。
ネガティブだったのが、少しづつプラス方向へ進み、
1年後には買う花も500円→1000円へアップ。

今ではお給料の4分の1を自分の学費にし、
好きなものは好きなものとして節度をわきまえて買う。
そんな毎日を送っています。
友達曰く、それから私はお洒落になったそうです。
そりゃパステルカラーの服なんて、
今や合コンでも流行りませんからね(笑)
posted by ありさ at 00:00| リハビリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月20日

私は3歳です

新しい発見があると、自分はまだ幼いなと思う。
先週末の夕方、自宅の最寄の駅に付いた途端、
すごい激しい通り雨に遭った。
空はだいぶ明るかったので、駅で雨宿りする事にした。
雨をしのぎながら、時間があるからこんな事もできると
ボケっとしながら思った。
普通そうだろ、と自分でツッコミを入れながら。
でも今迄の私には気づかなかった事なのだから仕方ない。

人生のやり直しって、結構楽しいと思う。
自分次第で、自分自身を取り戻せる。
ただ戻ってこないのは、活動していた時間と
失くした信頼、友達だけ。
それを乗り越えられられれば、あとはなんとかなる。
一番辛いけれど。
posted by ありさ at 09:23| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月19日

非活動になった直後

学会問題でドロドロになり、首の皮一枚で生きていた時、
とうとう学会活動をやめた。
なぜそこまでになるまで活動し続けたと聞かれると、
まったくわからない。恐らくMCの作用。

とにかく私には"時間が余った"。
今まで勢いで活動していたので、急に余暇ができても
なんだかもてあまして困ってしまう。
それにその頃は、時間があって考え込み始めると、
勢い余って自殺もしかねない状況だった。
だから何かしらで時間を潰さないといけなかった。

まず、私には先立つものもあった。
小さい頃から「学会活動にお金を使うことは美徳」と
毎日の様に教え込まれてきた。
財務は倍になって返ってくるとか、いつも言われた。
財務の為の貯金、受け持つ部員さんへの差し入れ、
会合のお菓子、車のガソリン代、送迎のお礼、
スーツ代、交通費、アトラクションの仕込み代、等等
学会にいるとかなりお金がかかる。
その出費がいきなり必要でなくなったわけで、
このまま同じような質素な生活を続けるのであれば
相当お金を貯めれるに違いない。

それからすぐに、興味のあった建築の学校へ通った。
とにかく自分の時間を潰して、考え込まないようにした。
何かを思い出しそうになったら、ひたすら図面引き。
けれどあっけなく、仕事には通えなくなった。
仕事をしていると、自然と涙が出て止まらなくなった。
「社会で実証を示す」と入った会社だった。

とにかく当時は建築に打ち込んだ。
素晴しい建物の写真を見ては、展開図みたいな物を書く
白いメモ帳をいつも持ち歩く生活だった。
けれど目を背けず自分と向かい合わなければ
この問題を解決する事はできないから、辛いけれど、
1日に1時間だけ、学会問題を考えるようにした。
ベッドで横になりながら、毎日泣いた。
もうひたすら、涙が枯れるまで泣くしかなかった。
涙が出るとどうにもならなくなるので、
寝るときは睡眠薬を飲んだ。

私はここで「時間に身をゆだねる」という事を学んだ。
時間でしか解決できない、大きな問題。
己の様な小さな存在ではどうにも解決する事のできない
大きな社会問題の端っこに居る気分だった。
そして己の事を考えれば考えるほど、
私の様な悩む人が他にもたくさんいるはずだと思った。
今までは時間に追われて生きてきた。
だからこそ時間などどうにでもなると、
甘く見ながら逆に図に乗った。時を操れると思った。
自分の事など全然出来なかったからこんなになったのに。
それに気づいたら、不思議と時間の流れに乗れた。

痛みに対して何も出来ないのはもどかしいし、悔しい。
でも心の傷は時間に頼るしかない。
それから徐々に図面を引く時間も減っていった。
今ではこの時期を乗り越えたのが、私の大きな勲章だ。
どこの国からもらったエラそうな勲章じゃなくて、
自分で自分にあげた、ちっぽけなものだけれど。
posted by ありさ at 13:16| リハビリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月18日

ヒールとローファー

バリの時はヒールだった。
なぜならスーツにはヒールが似合うからだ。
そんなだからか、何をするにも高い所に手を伸ばす様な
目標、理想、理念に思いが駆られていた。

今はローファーだ。
地に足をしっかり付けて、
忙しいスケジュールに身体を追いつかせる為だ。
うわついたりなんてしない。
私の道をしっかりと歩くのだ。

なぜかローファーを履くようになってから
生きている事を感じるようになってきた。
靴を変えるだけでそう思えるようになるなんて
自分で自分を変えるのは案外簡単だと思った。
やっぱり祈ってるだけじゃ、人生は変わらない。
posted by ありさ at 09:23| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「リハビリ」カテゴリ追加

記事に「リハビリ」カテゴリを追加しました。
主に、非活動になってからの心身症の治療や、
メンタル部分でのケアの話を書いていこうと思います。
私と同じ様な経験をし、
現在肉体的にも精神的にも辛い思いをしている方、
つたない体験記ですが、参考になさって下さい。

徐々に書いていきますので、よろしくお願い致します。
posted by ありさ at 09:17| お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月17日

願いが叶うか叶わないか

学会の人達は盲信の過程で
「祈れば絶対に叶う」と言って折伏するが、
それに対しての反論では非会員のみなさんには
"頭良く対応"して欲しいなと思う。

例えば『南無妙法蓮華経』と3回唱えて
「目の前に美味いものが出てくるように」とか
「目の前に大金が現われるように」とか
そんなのは叶わないのに決まっている。
それができたらミラクルだし、超常現象だ。
時々そういう子供な反論をしている人を見かけるのだが、
学会員だってバカにされたら頭に血が上るだろうし、
また見境のない暴言を吐いてしまうかもしれない。
それでは、ハッキリ言って両者共に望んで負けている。

しかしながら、学会員が言うように祈ったとしても
願ったように叶う事なんて無いに等しい。
例えば孤独な人が、友達が欲しいと祈っていたとして、
学会員に囲まれ始めたらそれは叶ったと錯覚するだろう。
叶ったというのはそういう錯覚の積み重ねとか、
無理矢理叶ったことにしているかのどちらかだ。
後者は体験発表を聞いていると非常に多い。

学会員は刷り込みで「祈れば叶う」と思っているので
こちらとしても真面目に相手をするのはバカらしいが、
彼らもれっきとしたこの世に存在する人間であり、
それなりのきちんとした対応が必要と思う。
会員はアンチを諭そうと努力するようだが、
最終的には諭しきれずに逃げていく。
結果はそうなるのだから、論破させようとするアンチも
「ほーら、できないだろう!」とバカにするのはよそう。
だって、元々のベースがないのだから、
論破をキッチリできることなんて皆無なのだ。
それだけ学会員であることが自己の中で不完全で、
信じる対象物の存在理由とその根本教義を
筋立てて語ることができないのだ。
心から学会を愛していたら、きっとアンチと関わらない。
そこまでの境地の人は、学会の悪い所全部を受け入れ
アンチの存在も理解しつつ仙人の様に生きていくはずだ。
ヘンに熱くなるのは、学会の悪い所から目を背ける為の
あがきとか、自分を諭せる様に躍起になってるから。
けれどそういう曖昧なものを追いかけてしまうのって
それが彼らが人間である証拠ではないだろうか。
人間の奥深くに存在する、迷いや孤独。
そのベクトルの向け方が間違っているかいないかの問題。

そう奥の深い話の中に彼らは住んでいるのであって、
そこに奇跡や超常現象まがいの信憑性なしの言及を
平然と持ってくるのはどうかと思う。
それが冗談であれ。
もう「食いついてくる学会員は放っとこう」が
恐らく一番良いだろう。

頭の良い人はとっくのとうに気が付かれていると思うが、
だって学会は、人も減り、分裂の危機にあるのに、
わざわざこちらは労力を使わなくてもいいから。
病床の主もかなり状態が悪いと聞いている。
学会員にどうこう食らい付くよりは、
ブログで学会と関わった体験での気持ちを発信したり、
その輪を少しづつでもいいから広げていったり、
「一般人を学会に関わらせない努力」をした方が
よっぽど社会のためになると思う。
posted by ありさ at 09:37| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月16日

やれる事はやってみた

今更ながら、私は学会組織の中で最大限の事をした。
このブログを読んで下さっている方には
私の過去の盲信具合が手に取るようにわかると思う。

みんな「やってみなければわからないでしょう」と
入信して行動しないとわからないと言って折伏する。
私はここで声を大きくして言いたい。
私は学会で出来る事の中で、私が出来る全ての事を
出来る限りの努力でやってきた。
その結果、学んだ事は

「人に必要なものは努力」

という事。
題目をたくさんあげるのだって努力です。
題目をあげながら頭から雑念を払い、
精神を集中させると色々なアイディアが浮かんできます。
集中力のなせる技です。
神が天から降りてきて奇跡を投げてくれるのではなく、
自分の頭が集中した結果に生まれてくる成果です。
だからダラダラとあげていると、疲れるだけなのです。
当然なにもアイディアは沸いてきません。
(私は昔、頭が真っ白になるほどに集中して題目を
あげていると会合で言ったら、それは凄いと褒められ
今となっては皆がそんなに真面目に題目をあげていないと
見当をつけることが出来る)
すると行動にも起こせないから、希望通りにならない。
だからお寺で座禅を組もうが、ヨガで瞑想しようが、
集中した後の結果は同じなのです。
私は自分の頭でシミュレートしたアイディアを
「功徳」とカン違いしていたのです。

それなら学会なんて必要ないです。
理不尽な扱いを受けたり、嫌な選挙活動をしたり、
折伏、新聞啓蒙、などの悪環境にいなくても
十分集中できて物事が考えられる所にいる状態になれば
それは「希望通りに進んでいく」確実な一歩になります。
実際に社会の第一線の経営者クラスの研修などでは
座禅や瞑想などの精神面を鍛える時間が取られる様になり
それが実際に社会を動かす人の役に立っています。
集中し、イメージし、頭の中でプロセスや手段を考え、
それが結果となって物事が順序良くはかどる。

学会が必要な時代ではなくなった、ということです。
今は健全な代替案がたくさんあるのです。
posted by ありさ at 09:41| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月15日

友達ができた

趣味の関係で、私と目指す所が同じ友達ができた。
自分が突き詰めてみようと思っている事で
同じ目標を持つ友達が出来たのは学会以来だ。

(でも学会は「世界平和を目指す同志」であり、
それがなくなればこうも無視をくらうのだから
初めから"友達"とは言わなかったのかもしれない)

毎日たくさんの人に囲まれて暮らしているけれど、
利害関係も無く仲良くできる友達は財産である。
学会は同じ方向を向かせようと刷り込みしているので
とってもお上手な指導だなと今更ながら何度も思う。
でも最終的には個々人の功徳主義が優先されてしまう
欲望には逆らう事が出来ない悲しいサガがあるので、
そううまくもまとまってないような気がするが。

学会ナシの友達とは心から生活を楽しむ事ができる。
今はとても平和だ。
posted by ありさ at 00:00| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月14日

朝って、いいよな。

何度も「明日なんて来なければいい」と思った私。
だからこそ今、朝は気持ち良く起きれるのだろう。

連休中にターコイズ色のカフェオレボウルを買った。
ゆっくり生きようと思う。
posted by ありさ at 00:00| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月13日

信号待ちのフラッシュバック

昨日の帰り道、信号を待っていたら突然、
非活動になってからのフラッシュバックが起こった。
特に信号待ちにトラウマがあるわけではないが、
会合の帰りはいつも信号待ちの時間で考え事をした。
それくらい当事は時間がなかった。

泣きが入るような辛い事をたくさん思い出し、
でも現在の瞬間のリアルに近づいてくると
辛い事や苦しい事は徐々になくなってきて
最後には何だか口元が弛んでしまった。
ああ、私はもう、笑ってもいいんだと思った。

それから笑いを我慢しながら家に辿り着いて
自分の部屋で思い切り笑った。
だって交差点で笑ったら只のヘンな人だから(笑)
明日は真っ白のシャツを着て出勤しようと思った。
posted by ありさ at 09:16| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月12日

祈られてるかもな

うちの母は「凄まじいオーラを発しながら題目」する。
だから問題児である私の事を祈ってるなというのが
そのオーラからすぐわかる。
この人の子供の私はきっと同じような気迫で
黙々と題目をあげていたに違いない。
そう思うと寒気がしてくる。
真剣に祈ってくれてる母には申し訳ないが。

(ここの所で学会員さんは
「こんなにお母さんが祈ってくれているのだから
今の所は何もありさに困難が来ていないのよ!と
ツッコミをいれるだろうな)

こういうブログをやっていると、
会員の誰かが日顕撲滅の隣に「ありさ撲滅」と書き、
仏壇に上げて祈っているかもしれない。
すみませんが、私は撲滅も消滅もしません。
だって、共感してくれる人がたくさんいるんだもの。
こんなにも損得なしで支えてくれる人がいるのに、
私自身が悪なわけがないと思う。
学会の人は可愛そうです。
退転すれば学会員から虫ケラ同然の扱いを受け、
ハッキリ言って人間不信にもなりますよ。それじゃ。
誰だって他人が虫ケラ扱いされているのを見れば
自分はそうなりたくないなと自然に思いますよ。
学会のセコい引き止め手段です。
posted by ありさ at 09:14| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月11日

あんたじゃ折伏、できるわけないよ

凄いアクの強い区幹部がいる。
もしかしたらもっと上に上ってるかも。
バリバリすぎてどうしようもないくらい、凄い。
24時間、ずっと学会の事を考えている。
そして本部職員である。

その人はいつかまわず電話してくる。
パステルカラーの服を着て家に来る。
そして
「先生からのお菓子なの〜!食べて福運つけて!」
となんかしら持ってくる。
凄まじいテンションだ。
もちろんこちらは
「他に食べたい人がいると思うのでその方にあげて」
と断る。すると、
(声高く、でも残念そうに)
「そっかぁ〜。じゃあご家族の方にわけてあげて〜」。
どうしても私にお菓子を分け与えたいらしい。
でももらわないが。お菓子で福運が積めるわけない。
選挙の前、同中の期間、数がからむと連絡が来る。
現在は何を言われてもサラリとかわす日々。

すまん、私はこの人がキライ。
価値観の押し付けと、その圧迫感が耐えられない。
こんなヤツは組織に高い頻度で存在するのを知っている。
だから少しでも理解を示しているが、
私でさえすごいアレルギー反応が出てダメなのに、
この人に一般社会人への化他行ができるとは思えない・・・
posted by ありさ at 09:41| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

一般社会人の皆様、どんどん斬って下さい

学会を斬る投稿を発見。

http://blog.livedoor.jp/samurai_japan1/
posted by ありさ at 09:31| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月10日

花を贈ってみる。

母の日。
カーネーションの鉢植えを母にプレゼントした。
泣くほどに悩まされたのに、結局はこうなる。

切っても切れない、見えない強固たる縁。
だからこそ、2世・3世問題は大切なのだ。
この縁がある限り、何があってもつながっている。
posted by ありさ at 09:32| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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