そして私自身に創価学会は必要ありません。
それを前提にお読み下さい。
学会の迷惑行為は今や周知の事実ですが、
ではなぜ、こうも多方面から批判をされても
会員は会員であり続けるのか。
会員として何にベネフィットを見出しているのか。
(コントロールされまくり会員は別として)
私はここを探求するのは自分探しと思っています。
自分はなぜ非活動になったのかというと
紛れも無く自分に必要ないからという理由からですが、
突き詰めてその理由を考えてみると、
なぜやめない人がいるのかという問題につまづき、
どうしても必要だからという理由では腑に落ちません。
学会の諸問題を考える事は、自己の確立に必要なのです。
自分のルーツを探るといっても過言ではありません。
だから一概にキライだキライだばかりと
何とかの一つ覚えの様には言っていられないのです。
物事を100%否定するのはとても簡単です。
自分はそれを受け付けないと言い切ってしまえばいい。
いろいろなソースを持ち出して、納得できればいい。
でも自分を確立するための探求だとしたら、
それは目を背ける事ができない問題です。
恐らく私と同じ2世・3世の人はこの疑問につまづく。
そこまで突き詰めて考えないと、
本当の意味での脱出は出来ないように思う。
だから私は、いっしょくたなアンチにはなりません。
この先そうなる可能性は無いでしょう。
その為にはかなり大きな苦労を背負うと思う。
なぜならアンチ一色になるのはとても簡単だから。