この記事は、ある方からの相談メールへの私からの返事で、
あらかじめ相談者に了解を得て、掲載しております。
今の私の状況がどのようなものか、
近況報告の様な感じでお読み頂ければと思います。
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○○さん、こんにちは。
○○さんの文章から前向きな気持ちがとらえられて
とても安心致しました。
○○さんは、どこまで行っても○○さんです。
このまま思う道を進んでください。
> 一つだけ疑問なのは、お母様と傍目には今も「冷戦」みたいですが、
赤の他人が勧誘してきたのなら、
「こんな奴のために人生棒に振るか!」って吹っ切れますが、
> ありささんは自分の中で、お母様をどう位置づけてらっしゃるのですか?
今の所、悲しいかな「同居人」です。
勿論実の母ですし、いつかは仲良くしたいと思っていますが。
しかし私の話を全く聞かないので、私も母の話は聞きません。
なにせ、私が精神安定剤を飲みながら生きているという事を知りながら
何年もの間、何もコメント無しでしたしね。
(追加コメント:いまでも無いです)
厳しく言うと、親の機能を果たさない親です。
でもそれに対しての私の振る舞いは、それでいいんです。
そうしないと、母は「学会の言う一家和楽はウソ」と言うことが
身をもって体験できないんです。
祈っているだけでは家族は団結しない、
自分が他の人に耳を傾け、共感し、一緒に痛みを感じ、
そこでやっと家族が団結するという事を、
「紛れも無い実証」として、母に体験してもらいたいわけです。
母は学会の言うことを素直に信じてしまう「子供」です。
だから、私のほうが親だと思って、行動しています。
機能不全家族の定義の中に、
親が未熟な為に自分が親になったかの様に
あれこれと面倒を見ることで
精神に異常をきたすというのがありますが、
これは全く別の種類の感情です。
手取り足取りなどは絶対にしません。
もう一歩進んで、親を獅子の如く崖から落として、
登ってくるのを見守っているのです。
(なんだかエラそうですね)
只、もう母も大人ですので、いろいろとプライドやら
今まで培った自らのセオリーなどがあり、
なかなか谷底から這い上がってきません。寄り道したりとか。
私は親を「捨てられないから捨てた」んです。
ある意味、2世、3世は、親をそこまで越えないと
自立は難しいように思います。
また自立しようと思う気持ちがなければ、
親を越える事もできないように思います。
だから私はブログで、自立しようとする心を持ってと訴えています。
良心の呵責があり親は捨てられないが
親に対して憎しみの心があるという矛盾した状態は、
きっとまだ自分が子供なのだと思います。
だから○○さんは今、精神的に自立するチャンスなんですよ!
この感情の意味に気づいたのなら、あとは自分を大きくするのみです。
そんなこんなでこういう所まで私自身が辿りつきまして、
今では普通に毎日を営んでおります。
また何かありましたらメール下さい。
ありさ
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こんな感じです。
完璧に自分モードでノンビリ過ごしている日々です。
この夏休み、遊びました(笑)
今までで一番自由に遊べた夏でした。
ジャズのライブ三昧、美味しい食事、新しい友達。
広がり始めた世界が更にどんどん広がって、
人間はこんなにもテリトリーを増やすことができるのかと
飛び上がって喜びたい気分です。
数年前までは、夏季友好期間と銘打ったお休みの中で、
どこか「これから折伏や新聞啓蒙をする人の発掘」みたいな
そんな観念を持ちながら過ごしていたので、
気負って人との関わりを持っていましたし・・・
そういう下心って、バレますね。
だって一生懸命友達作ろうと思っても、
全然できなかったですもん。