共感し、助け合うのが美学だ。
「そんなことをしたら罰が当たるわよ」
「批判をしたら病気になるわよ」
「逆らったら酷い死に方をするわよ」
そんなことを平気で言える人達が
本当の同苦なんてできるわけがない。
バリ学会人は何かをする時、罰になるか功徳になるか、
その2つの選択肢しか持っていないので中間が無い。
同苦は人の心の痛みをシェアするって事だろう。
それなのに他人にも罰か功徳かといつも見張っているし、
ちょっと罰方向に傾くと「それは罰!」と怒鳴り、
ちょっと功徳方向に傾くと「それは・晴しい!」と評価し、
くるくるくるくる態度が変わる。
そんな頭ガチガチの奴らに、私の思いが理解されてたまるか。
彼らは苦しみは自分の功徳になると身勝手に思ってるから
「同苦という皮を被った功徳主義活動」ができるのだ。
今この記事を読んでいる、悩み多き2世3世のあなたへ。
もし罰が本当に存在するのだとしたら、
私も一緒に罰に当たってあげる。
だから、あなたの好きなように、自由にやってみて。
宗教に束縛されることは許されない事。
法律も生まれながらに宗教を押し付けてはいない。
学会で自分を苦しめる事は、やらなくていいことだ。
人生を苦しむ事は、一般社会で十分経験できる。
学会の外には、ひらけた自由の世界があるのです。