このブログを読んで下さっている方には
私の過去の盲信具合が手に取るようにわかると思う。
みんな「やってみなければわからないでしょう」と
入信して行動しないとわからないと言って折伏する。
私はここで声を大きくして言いたい。
私は学会で出来る事の中で、私が出来る全ての事を
出来る限りの努力でやってきた。
その結果、学んだ事は
「人に必要なものは努力」
という事。
題目をたくさんあげるのだって努力です。
題目をあげながら頭から雑念を払い、
精神を集中させると色々なアイディアが浮かんできます。
集中力のなせる技です。
神が天から降りてきて奇跡を投げてくれるのではなく、
自分の頭が集中した結果に生まれてくる成果です。
だからダラダラとあげていると、疲れるだけなのです。
当然なにもアイディアは沸いてきません。
(私は昔、頭が真っ白になるほどに集中して題目を
あげていると会合で言ったら、それは凄いと褒められ
今となっては皆がそんなに真面目に題目をあげていないと
見当をつけることが出来る)
すると行動にも起こせないから、希望通りにならない。
だからお寺で座禅を組もうが、ヨガで瞑想しようが、
集中した後の結果は同じなのです。
私は自分の頭でシミュレートしたアイディアを
「功徳」とカン違いしていたのです。
それなら学会なんて必要ないです。
理不尽な扱いを受けたり、嫌な選挙活動をしたり、
折伏、新聞啓蒙、などの悪環境にいなくても
十分集中できて物事が考えられる所にいる状態になれば
それは「希望通りに進んでいく」確実な一歩になります。
実際に社会の第一線の経営者クラスの研修などでは
座禅や瞑想などの精神面を鍛える時間が取られる様になり
それが実際に社会を動かす人の役に立っています。
集中し、イメージし、頭の中でプロセスや手段を考え、
それが結果となって物事が順序良くはかどる。
学会が必要な時代ではなくなった、ということです。
今は健全な代替案がたくさんあるのです。