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2006年07月10日

お知らせ

細々とこの「一行日記」を続けてきましたが、
最近は私も落ち着いて生活ができるようになったので
ここに文章を書く意味を模索しておりました。

今までは家であった出来事などをぶちまけていましたが
もうぶちまけるようなこともそうそうないので
ここに書く事柄もなくなってしまったのです。

私自身、沢山の書物を読んだり、話をするうちに
宗教というもの自体の小ささ、縛られた観念、
それに追従する生命観があやふやで
だからこそ何もわからずにただ追いかけてしまう人達など
人の本質や精神に触れるような事を沢山学びました。

人は宗教という枠を超えて、つながることができます。
みんなで平和で暮らしたいという思いがあれば…
学会員に関わらず、色々な宗教で盲信している人には
なかなか理解しづらいかもしれませんが。
もっと人間観レベル、生命観レベルでは、
人はもっと上手につながることができると思うのです。

それに気が付いた今は、親も憎むことなく、
今までアポ無し訪問してきた幹部に憎悪が向くことなく、
今までやってきた私の活動に嫌悪が涌くこともなく、
やっと全てが浄化された感じです。
家で会合をやっていると、出席している人に対して
「こんな小さな世界観で自分が仏教徒だと思っているなんて
とても同情に値するし、かわいそうだと思う」
と心の中で祈りを送ることもしばしばです。

相変わらず昔に迷惑をかけてしまった人には
今でも頭が上がりませんが、
その人達には何らかの形でお詫びをしたいと思います。

創価学会も、昔はわかっていたのかと思います。
でも人が増えるうちにビジネスになってしまい
今は更にビジネスよりも最悪な、黒い政治の虜。


ここらへんで「一行日記」も脱皮する時なのかと感じます。

何かもっと私にできることは無いのだろうか。
ただ単に学会のどこが悪いとか、
私の親のどこが悪いとか、指摘するだけじゃなくて。
ちょっと考えたいので、時間を下さい。

posted by ありさ at 13:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月14日

父との最近。

最近の父は、私に対して「頑張るな」と言う。
とは言え、直接言うわけではなくて、
例えばテレビを一緒に観ている時に、
頑張りすぎちゃった人が自殺してしまったり
とにかく自分を追い込むような事をする人が出てくると

チラっとこちらを見ながら
「そこまでやる必要なんてないよな。
普通にしてればいいんだ」
と言うのだ。

父はどうも、私を普通に暮らさせたいらしい。
もう学会活動のことも何も言わないし、
母もそれにつられて何も言わなくなった。

父はここ一年くらい、地域の慈善活動に参加していて
どうやらそちらの活動に目覚めてしまったらしい。
学会の会合はすっかり忘れるのに、
その活動では遅刻すらしたことがない。
仕事から帰ってきてお酒でも一杯やりたいと思うけれど
なぜかサッサと出かけていく。

母は周り(一緒に住んでる家族ね)に迷惑をかけない様
自らコソコソと小声で題目をあげるようになった。
昔のように「あんたのこと祈ってるのよ!」みたいな
ヘンな念が飛んでる様な気配はない。
昔のように盲信会員さんとの長電話もしないし、
昼間は仕事をしながら、一方で韓流スターに夢中。
ぺとかチョとかいう人達の名前がズラズラ出てきて
やたらめったら楽しそうだ。
聖教新聞の重要記事を切り取っている気配も無い。
(時々チェックするのだが)
その上、聖教新聞を積み上げているのを椅子にしても
特にお咎めなく、何も言わない。
母もやっと、学会活動がもたらす一家不和楽を
感じることが出来てきている様だ。
これでやっと、私も安心してヨメに行けるぞ。


ということで、やっとありさ家は毒吐き始めました。
母はまだそれなりに普通に活動している模様ですが、
前みたいにうちに出入りする外部の人に対して
新聞啓蒙をするような行為はしていないようだし、
迷惑行為と思われるものはしていないと思う。
また、うちに対しての幹部の迷惑行為も
だんだんと減っているように思う。
父が何か幹部に言ったのか?
それとも私がガツンと言っているのがきいたのか。
それに地区の拠点のはずなのに、会合の数が激減。
相変わらず座談会はやっているみたいだが、
今では月に2、3回あれば多い方。

あとは聖教新聞が配達されなくなれば完璧ですが、
それはどうも逃げられなさそうなので、
とりあえずはスルーしておきます。

posted by ありさ at 11:13| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月08日

感謝すべきこと

私は学会というものが大嫌いで、
今すぐにでもなくなってしまってもらいたい。
でも今から考えると、感謝すべきことが結構ある。

学会員ということで地域から白い目で見られていたので
いつも近隣の人に道で会うときは、
必ず笑顔で挨拶しろと親から教えられた。

学校の先生、習い事の先生など、
お世話になっている人には、必ずお礼を言えと言われた。

何かもらったら、必ずお返しをしろと言われた。

などなど、物心つかないころから礼儀を叩き込まれた。


その結果、私は一流企業で恥じない秘書になった。
もうそのキャリアも10年になる。
上司は絶対の信頼をしてくれる。
会社の看板を、私に託してくれているのだ。


最近の私は、
かなり前向きに物事を考えられるようになった。

感謝すべきことは、すべてに感謝しよう。
お礼を言えるのであれば、ちゃんと言おう。
私は今、とても幸せに生きていると伝えよう。
私が幸せと言えば、周りの人も喜んでくれる。

ぐだぐだ文句をたれているのなら、
神頼みせず、もっともっと自分で努力しよう。
もっともっと前に進めるように頑張ろう。
今ここで生きていること、ここで幸せなこと、
支えてくれている人に感謝しながら
更に何か出来ることを探していこう。

私は今、とても幸せなんです。
辛かった分の跳ね返しなどとは思いません。
辛かったことも、実は幸せだったんです。
ネチネチ文句をたれていたのが、恥ずかしい。
辛くても楽しくても、私は私だったのにね。
たくさんいろんなことを学べたのにね。
悲しいかな人間は、ちょっと辛い立場にいると
感謝の気持ちを持てなくなってしまうようです。

今はどんな道が先に待ち構えていようとも
全部自分の選んだ道だと思って生きていきます。
因果の法則、まさにこれです。
自分が今生み出した思考や行動が
将来必ずどこかであらわれるでしょう。

生きることって、かなり楽しいです。

posted by ありさ at 09:50| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月22日

最近の雑感

元々地から涌いてきたと自分で思っているのだったら、
彼らはもっと現世で地に足を付けて生きられないのか?と
常々思っているありさでするんるん
厳しいことを言っておいて♪マークですみません。

でも最近は学会員さんのおトボけパラドックスが
無性に笑いを誘ってしかたありません。。。

さて、先日お話したとおり、ゴールデンウィークの期間中、
更にガツンと会員の皆様に「帰らない宣言」をした件、
あれからストレスから来ていた肌荒れがかなり回復し、
やっぱり言いたいことは言った方が精神衛生上宜しいと
ここのところずっと思っています。

実はガツンの話には裏話がありまして、
そのことについてちょっと。

実はいろいろな方に流れ弾のごとく宣言したのですが、
最後まで引き下がらず「一芸披露して」としつこく言ってきたのは
とある地区婦人部長。
ぶっちゃけると、私はその人が好きではありません。
(前にもここで書いたかな)
私が組織を離れた時に派遣で入っていた地域の人です。
結構人間として最悪な感じの人。
男子部は大好きで、要はかわいい女子部が一番キライな様子。
邪魔で邪魔でしょうがない。虐めの対象。
地区リーダーであった私を村八分にして何でも決めてしまうし、
こちらから連絡しないと、会合の日程も教えてもらえない、

だからといって、学会活動は修行なので、
ある意味食いついていかないといけないのも事実ですが
食いつくくらいに価値のある婦人部長ではないので
私もテキトーでした。その頃はもう半精神病だったし…
この間話したときも、私は「あなたがキライ」オーラ丸出し!
みたいな感じで話をしていたのですが、
長年学会活動をすると、嫌われるのが当たり前になってしまい
そういうのを察知する能力が鈍感になってしまうのか?
まったくもって伝わってないようで、
一芸をネタに会合に出させようと最後まで必死こいている。
学会員は、学会ではないネタで他人を会合に誘うように
完璧にマニュアル化されている。
セミナーなどがその典型的なイベント。

ということは、私もやっと雰囲気的に外部の仲間入り?
などと思ってちょっとニヤける。。。
っつーか、一芸だけで私は会合なぞには行かぬぞ。
甘く見るな〜!それで披露したところで、
「さすがありさちゃん!またやって!」って持ち上げて
また会合にリピートさせる気なのか。

そんなことを考えつつ会話を進めていると、
その婦人部長はやはり、自分の地域のせいで組織を離れたのか
執拗に尋ねてくる。ネチネチネチネチ。
でもやたら走って喋って押し付けちゃうコドモな会員さんとは違い、
大人のワタシは「あんたのせいだ」とは間違っても言わない。
とりあえずは「生まれてからずっと組織にいて不幸だった」と
何も言い返せない強力な釘を刺した。
あんたのせいだなんて言ったら、宿敵だと思われて大変だ。
今でも外部扱いなのに、餓鬼畜生とか、俗衆増上慢とか、
心外な事を言われて恐ろしい念が飛んできそう。

まあ、ちょっとは自分に非があるのか?と思っていたのかな?
ということで、今回は保留にしておこうと思った。


最近誰かさんが麻薬所持で捕まってしまいましたが、
学会の人に売りさばいていたのではないことを祈ります。
組織なんてストレスの塊だし…
環境から逃げたくても逃げれない人もいるだろうしなぁ。
でもその誰かさんはもう退会しちゃったみたいですね。
さすが本当に信仰が必要な人には手を差し伸べない学会です。
懐が狭すぎて、またパラドックスに笑っちゃいます。
posted by ありさ at 12:16| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月17日

昨日の報道番組

昨日の夜、居間でくつろいでいたら、
某報道番組で教育基本法案がどうのこうのということで
公明党がどういう見解なのか放送をしていましたが
そこに池田氏の映像が出てきて驚きました。
もういまさら政教一致なんて
どうでもいい世の中になってきているのでしょうか。
世の中の人たちも、一部の活発な意見を持つ人を除き
創価学会が政治をあやつることに対し
どうでもいいと思っているのだと思います。
国民不在の政治の流れが、原因だと思います。

今日の会合あたりで、盲信会員さんたちは、
昨日の池田氏の映像が出たのを
学会が世間に認められてきたと勘違いするでしょう。

5.3の新聞広告もそうです。
「今日は創価学会の日です」と広告を出していましたが
それを見たとたん、私の直感では、
友好週間明けはこれがネタになるなと思いました。
案の定、うちで行われた会合では、
婦人部の方がこんなことを言われていました。

「こんな風に創価学会の日が広告に出るのは
池田先生が、私達に活動がしやすくなるように
こうやって社会にメッセージを投げてくれているのです!
これだけの広告が出ると言うことは
社会で学会の立場が認められてきた証拠です!」


隣の部屋から聞こえてきたのですが、鳥肌立ちました。
誰かこの勘違い集団を止めて下さい・・・


posted by ありさ at 12:01| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月09日

GW

今年のゴールデンウィークは、
生まれてこのかた味わった事がない有意義さでした。
色々と自分磨きができたので良かったです。

とはいえ、家に居る時間が普段より長いと言う事は
学会員さんと遭遇する時間も長くなるのですバッド(下向き矢印)
私の遠〜い記憶が確かなら、
こういう大型連休の時は友好週間なんじゃ?
それなのに人はいつもの様に来るし、
電話もガンガンかかってくるし(しかも夜遅く)
学会員の皆様はお休みという言葉を知らない?

来る学会員さんには、いちいち色々と聞かれるし、
ついには私の一芸を知っている人に
「今度会合であれをやって!」と言われる始末。
もう何分もかけて、私は二度と戻らないと言う事を
ガツンガツンガツンと言ってやりましたパンチ
それでも引き下がらないんですよねぇ。
まったく困った会員さんです。


posted by ありさ at 16:26| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月06日

礎を作り直す事も必要

今日は私の大嫌いな創価学会を、
どうしたらまともにできるのか?という話です。
学会員さんのおかしな思考に嫌気がさしていまして、
それにまだ父が組織にからんでいるのが気になります。
今朝仏壇に手を合わせながら、
学会をはじめとする社会問題の何とも言えない虚しさを
本当にこのまま放置していていいのだろうかと思いました。

まず、会員のみなさん我慢しすぎです。
疑問を持ちながら活動している方々も
最終的には学会の活動方針に従ってしまうでしょう?
学会では「疑っているうちは祈りはかなわない」と
そう指導されているではありませんか。
ですから、やりたくないことをイヤイヤやりながら
学会の言う功徳活動をしても無駄なわけです。
だったら自分の良心や気持ちに素直に従ったほうが
精神衛生上いいってものです。
「でも幸せになれるって言ってるし・・・」
なんて言ってるそこの君。
自分を鍛える事は一般世間でもできるし、
普通幸せは自分の努力次第で決まると思う。

そしてみなさん、貢ぎすぎです。
学会はあなたに何かをしてくれましたか?
何の為に大切な時間を学会に費やすのですか?
何の為にお金を払うのですか?幸せ貯金ですか?
だったらあなたは今、幸せですか?

お金は組織の源です。
お金があれば会館が建てれます。
本部職員が食べていけます。
無駄な書籍や新聞を発行できます。
池田氏の勲章や名誉称号が買えます。
それはあなたに何を与えてくれますか?
自分が学会員だと他人に言えない人なのに・・・
学会の為なら幾らでも!という盲信さんには
わからないでしょうが。

普通の学会員の皆さん、
私はあなた方の言い分もわかります。
でもこのままじゃ、あなたの大切な学会が
嘘つきになってしまいます。
私は学会が嘘つきでもなんでもかまいません。
どうしようもない団体です。
「じゃあみんなで幸せになればいいじゃないか」と
おっしゃるかもしれませんね。
でも皮肉にも、もはや組織自体が、
人を幸せにするシステムではないのです。
選挙にしろ、折伏にしろ。ノルマにしろ。
選挙は好きな政党に入れればいいと法律が言ってるんです。
折伏しなくても幸せになれる方法が沢山あるんです。
自分が幸せじゃないと、幸せを語れないんです。
おんなじ新聞を沢山とるのは環境にも悪いんです。

組織を腐らせているものを排除し、
全てを見直さないと、普通のシステムは作れません。
「ご本尊対自分だから」と言う人もいるかもですが
なぜそれなら組織に残るのですか?
ご本尊に祈るのは、会員じゃなくてもできます。
ご本尊は自分の胸にいるのです。
御書だって自分で勉強することもできます。
きっと組織にズルズル残ってしまう人は
そういう独学に自信が無い人なのだと思います。

学会に居るメリットってなんでしょう?
寂しさを紛らわす為でしょうか?
私には学会のメリットはそれくらいしか見つかりません。

どこかから「そんなに会員の数を減らしたいの!?」
という声が聞こえてきそうですが、
私は「ハイ、その通りです」と言いたいです。
もう飽和状態なんです。
監視もきかないし、暴走したら困るんです。
このまま「悪を追求」というキレイな言葉で飾った
ただ口の汚い幹部に甘い蜜を吸わせるのが嫌です。
学会員であった姉歯氏の奥様が亡くなり、
学会側の言う「もう既に退会済みです」という言葉も
まったくもって気に食わないです。
彼女は学会の被害者です。
なぜ彼女を幸せにしてあげられなかったのでしょうか。
人は「一緒に頑張ろう」というたったの一言で、
明日を見出し、命を救われる事もあるのです。
少なくとも私は、友達に言われたその言葉で
あともう一日生きてみようと思いました。
人一人の命をも救えなかった学会。
それなのに世界平和などできると思いますか?
きまりが悪くなると逃げ、
裁判結果など自分たちの悪いところを会員に隠し、
会員を犠牲にしながら、中心幹部たちは大きくなる。
これで「姉歯氏の奥様は福運が足りなかったのよ」
なんて声を聞いた日には、
「てめぇらは自分で福運積めてると思ってんのか!」と胸ぐら掴みます。
(できればあんな腐った所には戻りたくないが)


願わくば、組織の中に「学会の未来を真剣に考えた末に反乱を起こした方が良いと思う人」が沢山いて、その方々が何か真剣なアクションを起こしてくれることを望みます。その時は私も組織に戻り、一緒に戦います。そうしないと命までもを落とすような学会被害者がどんどん出てきてしまうはずです。
その上での組織の今後は、後は野となれ山となれ、です。組織も生き物ですから、どこでどう変貌するのか、わかりません。
posted by ありさ at 14:44| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月03日

マイ聖教運動で・・・

この間、家族で聖教新聞について語った。
というか、私と妹(未活動)でつついた。

うちの購読は4部だ。
家族は両親&私。妹は結婚して外に出ている。
あとは公明新聞が1部、創価新報が1部、
大白蓮華が4部来る。

まず、マイ聖教っつーのは、
活動家が1人1部づつ取るという事で理解している。
4部購読しているということは、
私と妹の分は、もうお断りしてもいいはずだ。

妹が結婚して家を出る時に、
妹はちゃんと、自分の分はやめろと言ったそうだ。
それなのにいまだにとり続けているのは何ぞや?と。
そして私は非活動だから、私の分も当然要らない。
だから私と妹で、早くやめろと詰め寄ったが、
いつものごとく、耳を貸そうとしない。

言い争いになるのならまだ良いのだが、
我が家の両親場合は、最後「ダンマリ」になるのだ。
要は、話さなければ会話は終了するのだ。
話にならなくて、イライラするちっ(怒った顔)

そして読まない大白も2冊が余分。
その2冊は、座談会などに来た人で
大白を忘れてきた人に貸すのだそうだ。
っていうか、人の忘れ物なんてどうでもいいじゃんたらーっ(汗)
どうせみんなで声出して御書を読み上げて、
その後で"通解を読むだけの講義"など
誰も聞いてなんかないよ。
時にはその講義とやらより
隣のページの方が気になっちゃったりするし。

誰か親とまともに会話できる方法、
教えて下さいますか???
posted by ありさ at 15:33| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月23日

ちょっと思った

「一生組織には戻らない」なんて、

なんか任侠モノのドラマで、
カタギの人が悪の組織から足を洗おうとしてるみたいたらーっ(汗)

私は指じゃなくて心をツメちゃったけどね〜

posted by ありさ at 15:17| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私としては・・・

婦人部にしても女子部にしても、

「ありさちゃん元気ィ〜?揺れるハート
いつ組織に戻ってきてもいいからねェ〜」

くらいの感じでぶつかってくるのが希望なのですが
(反撃体制が整っているので!笑)
最近の私の周りの人は、私の反撃を恐れているのか、
誰一人としてまともに投げつけてきませんね。

ちょっと前、地域のバリ会員の人に言っちゃったんですよ。
私は一生組織には戻らない。
けれど良い事も悪い事も学会では学んだわけで、
組織で自分を鍛えてみたいと本気で思っているのであれば
私は会員さんを応援しますよ、
だから私を外部の理解者だと思って、って。

本気な人なんて、学会の公称する人数の何%居るのか、
私にはあんまりいると思えませんが。
私の言う本気とは、学会の長所、短所を全て理解した上で
それでもいいから、精神を鍛える為に組織に残ると
そう思っている人のことです。
きっとここまで至るには、入信→洗脳→疑問→覚醒と
全ての段階を踏んだ人ですね。

学会での情報の流れる早さは凄まじいということを
ここを読まれている方なら理解できるでしょう。
これは1人に言いましたが、
きっと翌日には10人以上の人が知っていたと思います。

私が敵(魔?)じゃないとわかった彼らは
組織から離れた当時の腫れ物に触る様な態度というか
そういうオブラート包みをやめて
ここのところはやったらフレンドリーですたらーっ(汗)
まるで外部の友人扱い。
学会の事もちょこっと話題にいれつつ、
様子を伺ってるみたいな。

学会がいかに社会に受け入れられていないのか
みんな心底わかってるんですよね。
だからこそ自分が学会員と周りにカミングアウトもできない。
組織から離れた私は、外部と同じ。
余計な事を言えば更に事態は悪化すると思い、
私を腫れ物扱いしたのだと思います。

が、しかし、最近の彼らは一体なに?
学会特有の座談会発表モードの甲高い声で電話が来て
受話器上げた瞬間からテンション高グッド(上向き矢印)
普通、活動してない人が居る家庭では
(うちなんて特にだけれど)
ちょっとは遠慮がちに電話してくるのが筋では?
ま、そのずうずうしさが学会員さんですが。

今の私はストレスフリーなので
どんな学会員とのやり取りもゲーム感覚で楽しんでますが
ちょっと前の私だったら考えられませんでしたねーかわいい

posted by ありさ at 15:09| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月15日

春です〜

徐々に暖かくなってきて、ウキウキしますね。
私は昔、春は別れの季節と思っておりました。
卒業だったり、人事異動だったり。

活動していた時代は周りの人が離れていくのが当たり前。
一度物理的に離れると、もう連絡を取ることもありません。
ま、選挙の時などは無理矢理連絡しまくってましたが。。。
向こうからは絶対に連絡はしてもらえませんでしたね。

組織を離れてからは、友達が一番大切なものとなったので
別れの季節が来ようが、物理的に会えない状態だろうが
そんなものは関係なく、皆から仲良くして頂いているので
つながりは季節に関係なく、ずっと続いていきます。

春は昔とは逆に、出会いの季節になりました。
どんな人が部署に異動してくるかな、
あの習い事ではどんな人が教室に入ってくるかな、
そうやって出会いというものの概念が180度変わりました。

学会活動をやめたほうが、人生は楽しいと思う。
学会で生きがいを見出している人は違うと思うけれど。
私はやっぱり、組織には居れない人間だったのだと思います。


ここのところ、ブログでよくみかけるのですが、
3月度の同中の事で色々と記事が出ていますね。
とうとう分裂が始まってしまった様ですね・・・
秋谷氏は組織にしがみつきたいように感じられますが
所詮学会の絶対神は池田氏なので、
彼がそうと言えば、秋谷氏もそうせざるをえないでしょう。

私は祈りたいと思います。
悪の中にも善があると信じ、慈悲を注ぐのが仏です。
何か革新的な事が起こり、善が見えるようになるのを。

posted by ありさ at 09:58| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月24日

今度は"下種"だと。

うちの仏壇から、「折伏名簿」という紙切れが消えた。
その代わりに現われたのが「下種先一覧」だ。

折伏も下種もどちらも同じだが、
まあ、折って伏せるよりは下種の方が表現が柔らかい。
でも執拗に友人をセミナーなどに誘ったり、
囲み折伏しちゃうのはまだまだ変わらないこと。
表現変えたって、やってることは同じだもんねぇ。

どうか母が周囲の皆さんに更なる迷惑をかけない様願う。
(私には彼女を止められません。。。)
posted by ありさ at 15:48| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月20日

学会は目の粗いヤスリだ

最近、どうしても学会はタイトルの様に
「目の粗いヤスリ」に見えてしかたない。
こすって大体の形には仕上げられるのだが、
良く見てみると細かな傷がたくさん付いている。

学会での人格形成でもそうだ。
何に対しても、白黒をハッキリ付けたがり、
極端な方向にしか行かないようになるのは、
おおまかな形作りしか出来ない、目の粗いヤスリそのもの。
そして、学会で形作られていると思われていた自分は
良く見てみると、細かな心の傷がたくさん出来ている。

ちゃんと磨くヤスリを使っているのだから、
思うように形作られていると本人は思っている。
でも磨いている途中は、ヤスリが邪魔して、表面が見えない。
それが学会のさせている「常に活動させる」戦法だ。
常に磨かせていれば、傷は見えないのだ。
傷はどんどん、増えてゆくのに。

自分の心の傷が、自分の手で見えないなんて、
なんて皮肉で、解決法の無いことだろう。
やっぱり、自分が気が付くしか、方法がないのだ。
posted by ありさ at 11:07| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月16日

夢の効能

夢を見るのは、現実世界で解決できないストレスとか
欲求を頭の中で寝てるうちに再現しているという。
何かでストレスを発散している夢を見ると、
朝起きたら意外とスッキリしている時がある。

先日の夢。


母:実家に居るんだから、家にお金入れなさい!



私:入れない。(キッパリ)


母:オトナトしてのケジメでしょ!


私:だったら、要らない新聞とか、要らない書籍とか、

  要らないビデオとか、要らない民音チケットとか

  買わない上で言ってくれない?

  そういう無駄使いしてて「お金が無い」とか

  毎日ほざかないでくれない?

  私が汗水たらして働いたお金が「創価の金」になるの、

  この上なく不快なんだけど




母:・・・・・



こうやって夢見る乙女はストレスを発散しているのです・・・


posted by ありさ at 13:47| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月26日

お手柄転嫁

相変わらずなうちの母。

私がこうして組織を離れた後でも
なに不自由なく暮らしていられるのは
自分が題目をあげているからだと思っているフシがある。

子供の苦しみや、
子供自身が立ち直ろうとする努力を信じない母。

私だけは、こんな母親にはなりたくないと思う。

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リンクのお願いに沢山のご連絡をありがとうございました。
順次内容を拝見させて頂いて、リンクをUPします。
どうぞよろしくお願い致します。

posted by ありさ at 10:14| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月12日

躁鬱世界

新聞のチラシに民間療法の案内があったので見ていると
適応症状に「躁鬱病」とあった。
そこでちょっと思ったこと。

躁鬱病は精神に問題がある人の病気だが、
よく考えたら、私は学会の活動に参加していた頃は
いつも躁鬱だったように思う。

会合で覇気に満ちて軍歌を歌ったと思ったら
居残り指導を受けさせられて、ワーワー泣いたりする。
”気分が頻繁に変わらざるをえない”状況になり
ハイテンションとどん底を毎日繰り返す。

学会員が躁鬱なのではない。
組織の体質が躁鬱なのだ。
普通の人間が躁鬱組織に居る事によって、
どんどんその環境に汚染され、精神が病むのだ。


最近学会組織の事を思い出してそのまま寝ると
寝ている間にものすごい食いしばりをしていて
顎も体もだるすぎて、翌朝起きれない事がある。
毒が抜けるのはまだまだ先かもしれません。
posted by ありさ at 13:17| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月26日

自分の成り立ち

私はずっと学会の中で、
自分は特別な人間だと思ってきた。

法華経を持ち、創価学会の広宣流布の為に働く。
そうすればきっと幸せになれるのだから、
だから幸せの為に行動できている自分が
稀有な存在だと思っていた。
そして、実際にそうだと小さな頃から教えられてきた。

「この学会に出会えたことは幸せなことなのよ」、と。


でもなかなか幸せな気分にはなれなかった。
題目を唱えればすぐにでも願いは叶うと指導されるのに、
実際どうにもならなかったりすると
祈った分は来世で叶うよ、と言われる。
仏法上はそうなのかもしれないが、
そういう話の迷宮にとことん迷い込んでしまう。

私は今、生きていることに感謝しています。
苦しくて辛かった時、死ななくて良かったと思っています。
人間はいつまでたっても一人の人間で、
孤独で、最終判断はいつも自分に委ねられていて、
そしてその孤独を知っているからこそ
皆が仲間としてつながっていける。
辛い思いをして乗り越えた時、
人は一人なのだと理解ができました。
辛いから、みなで支えあえるのだと。

上手く言えないけれど、
私は一人の人間として生まれてきて、
一人の人間として生きているのであって、
それ以外の何者でもなく、どこまでも人間。
生きる以外にすることはなく
その「生きる」の中にどれだけの意味を探すかではなく、
本当にただ、生きるのみ。
自分を特別などと、かけらも思っていません。
意味を探さなくても、生きていると、楽しい事がたくさんある。
楽しい事を作り出すことをしなくても、
向こうから勝手にやってくる。

生きていることって、不思議だ。
生きるだけで、幸せ。生きるだけで、楽しい。
幸せなんて、あちこちにある。
それに気づけるか、気づけないか。

posted by ありさ at 18:23| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月19日

陽の当たる坂道

私の好きな曲のひとつに、
Do As Infinityの「陽の当たる坂道」という曲がある。
丁度私が毎日悶々としていた時に出会った曲。

その中に「何もかもが全部このままじゃ終われない」
という歌詞がある。

まさに私はこのままやりたいこと1つ出来ずに
人生終わってしまうのか?と思っていた時でした。
この曲を聴いて、本当にこのままじゃダメだと思い、
自分のモチベーションを上げました。

ここ2、3年、いつも「このままじゃダメだ」でした。
今まで犠牲にしたことへの悔しさ、
失ったものへの悲しさ、
全てを取り返すのにどれくらいかかるのかと
気が遠くなったりもしました。

でも不思議なもので、そういう気が遠くなる様な事も
楽しい事が起こり始めると一気に埋まってしまう。
楽しい事が少なかった分、ほんの小さな事でも大きくて、
おかずの付けあわせが1つ多い位でも嬉しくなる。

今までは「祈った功徳でおかずが1品多い!」とか
起こる事ぜーんぶ功徳のお陰にしたのだけれど
今では日常のあれこれ、全てが因果だと思っているので
バスで席を譲ったこと、会社の書類が早く出来上がったこと、
電話で少し丁寧な言葉を使ってみようと思ったこととか
人生を良くしよう、感謝して行きようと思ったことが
全部良い出来事につながっていると思えます。



今まで軍歌にかき消されていた私の人生のメロディが
かすかに聴こえ始めてきました。
それはとても滑らかで優しくて、
いつでも温かな風を運んできてくれます。


posted by ありさ at 10:51| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月13日

運命って…

最近、自分の根本運命は素直に受け入れようと思っています。
それは、人生の軌道修正は積極的にすべきだけれど、
創価学会の家に生まれてしまったのは決められた事実で、
0歳児の子供にはどうしても決定権限ないのです。

だから、前提としてあるものは全て受け入れ”利用”し、
ありとあらゆるものを私の人生のプラスになる物へ
変えてしまおうという方針です。

活動をやめたこの数年で学んだ最大のことは、
”逃げるということは世界で一番簡単なこと”。
その定められた運命から逃げないことです。

もし家を飛び出していたら、その時は学会と手が切れるけれど
世間に迷惑をかけるかもしれないバリ両親が気になる。
親と子は、いつまでたっても、親と子。
いくら好きでも嫌いでも、どうしたって縁は切れない。
そして逃げれば私自身が逃亡者扱いになってしまう。

学会に勝つ方法。
逃げない。死なない。病気にならない。
世の中に認められる立派な人間になる。
社会性を持ち他人に迷惑をかけない大人の人間になる。

そしてそれらを”誰に指示されることなく自分の意思で行う”事。

幹部に指導されてから気がつくのでは、遅い。
それにそんなエラそうな事をいう幹部が最低の人格な事も多く
私は活動家時代、誰の言葉を信じて良いのやらと言うことが
たくさんの機会でありました。

もしプロの歌手になりたいのなら、
そこら辺のプロになりそこないの先生に習うのはダメ。
もし会社の経営者として成功したいのなら、
大学の教授に教えを請うよりも、松下幸之助の本を読んだ方がいい。
学会だって、まるっきりそれと同じ。
素晴しい人格を持ち、心を豊かにしたいのなら、
そういう人と話をしないといけないと思う。
でも実際、こんな人になりたいなぁと思う幹部が
周りに誰もいなかったりする。
聖教新聞の汚い罵倒を読んだりすると、
私はこんな人たちのスピーチを聞いていたのかと思い、
余計に自分のこれまでの人生が悲しい。

ここまで多くを学ばせてくれた反面教師に、大感謝である。

私はまだ、バリの両親の下で暮らしています。
家は活動拠点で、たくさんの学会員が出入りしています。
ここの所、その皆さんたちと笑顔で話せるようになりました。
あちらは
「やっとありさが心を開いてくれた。
もしかしたら活動に戻ってくれるかもしれない」と
大勘違いしていると思います^^;
私はいつも彼らと話していて、
「ここで一生懸命活動を突き詰め真実にたどり着き、
まっとうな人間になれる様、修業して下さい」と
心の中で祈っています(笑)

posted by ありさ at 09:42| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月11日

幸せになりたいから、やめたのだ。

ここでもう一度、言っておきたいことがあります。
それは

心の底から幸せになりたいから、やめたのだ。

ということ。

私は活動をやめたことを、まったく後悔していません。
活動をしながら、
「組織に居ることが幸せ」
「部員さんと一緒に戦えることが幸せ」
「学会のお役に立てることが幸せ」
と、嘘をつき続けるのが嫌になったのです。

学会での私はずっと仮面をかぶったままで、
その仮面は何があっても取ってはいけないと
罰が当たるということとくくり合わせて教えこまれました。

人ととしての、危機感や動物的な勘でしょうか。
自分が壊れそうな時には、精神が「何か違う」と教えてくれます。
でも精神はなかなか自分でコントロールできるものではなく、
自分が自身の精神を理解をしたいと思わなければ
答えは近くなりません。

学会の存在意義・・・
それは世界平和と、人々の幸せだったと思います。
それが、今まで1度も幸せと思ったことが無い私が居て、
そこからして、私は学会の存在意義からかけ離れていたのです。
学会の先輩から言われました。
「一度も自分が幸せだと思った事がないなんて可哀相」って。

私が幸せになれないのは、あなたたちのせいなんだけど。

何度心の中でツッコミを入れたか知れません^^;

でも今は、幸せは自分が作り、自分で継続させるものだと
心から思うことが出来ます。
それは組織から離れて、やっと自分が幸せと思えるようになったから。
幸せってこういうものなんだって、やっと理解ができました。

私にとっての幸せとは、
毎日のひとつひとつの出来事、助けてくれる人、
物や場所、全てに感謝すること。
私を生かせてくれる、心臓や、空気にも。
そして私を自殺させなかった、心の奥底の秘めた強さにも。

もし学会の中で戦々恐々としていたのなら、
そんな細かいものには気がつきもしませんでした。
幸せのためにやっていた学会活動が、
その社会での存在と同じように、世間に壁を作っていました。


幸せは祈って降ってくるものじゃない。
学会活動を頑張れば勝手に来るものでもない。
自分で努力して、気がつかなければ、
幸せがそこにあることに気づけない。
学会活動をしていて、本当に幸せだと思えるのならば、
私にはその人をとめる理由など何もない。
だって、それが学会の存在意義なのだから。
でも苦しんでまで、
その苦しみが魔だから戦えと指導されて我慢してまで、
続ける学会活動かと思ってしまうのが、今の創価学会。

何度も同じようなことをこのブログでは書いていますが、
最終的に行き着く結論は、これです。
posted by ありさ at 16:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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