最近は私も落ち着いて生活ができるようになったので
ここに文章を書く意味を模索しておりました。
今までは家であった出来事などをぶちまけていましたが
もうぶちまけるようなこともそうそうないので
ここに書く事柄もなくなってしまったのです。
私自身、沢山の書物を読んだり、話をするうちに
宗教というもの自体の小ささ、縛られた観念、
それに追従する生命観があやふやで
だからこそ何もわからずにただ追いかけてしまう人達など
人の本質や精神に触れるような事を沢山学びました。
人は宗教という枠を超えて、つながることができます。
みんなで平和で暮らしたいという思いがあれば…
学会員に関わらず、色々な宗教で盲信している人には
なかなか理解しづらいかもしれませんが。
もっと人間観レベル、生命観レベルでは、
人はもっと上手につながることができると思うのです。
それに気が付いた今は、親も憎むことなく、
今までアポ無し訪問してきた幹部に憎悪が向くことなく、
今までやってきた私の活動に嫌悪が涌くこともなく、
やっと全てが浄化された感じです。
家で会合をやっていると、出席している人に対して
「こんな小さな世界観で自分が仏教徒だと思っているなんて
とても同情に値するし、かわいそうだと思う」
と心の中で祈りを送ることもしばしばです。
相変わらず昔に迷惑をかけてしまった人には
今でも頭が上がりませんが、
その人達には何らかの形でお詫びをしたいと思います。
創価学会も、昔はわかっていたのかと思います。
でも人が増えるうちにビジネスになってしまい
今は更にビジネスよりも最悪な、黒い政治の虜。
ここらへんで「一行日記」も脱皮する時なのかと感じます。
何かもっと私にできることは無いのだろうか。
ただ単に学会のどこが悪いとか、
私の親のどこが悪いとか、指摘するだけじゃなくて。
ちょっと考えたいので、時間を下さい。