ここでもう一度、言っておきたいことがあります。
それは
心の底から幸せになりたいから、やめたのだ。ということ。
私は活動をやめたことを、まったく後悔していません。
活動をしながら、
「組織に居ることが幸せ」
「部員さんと一緒に戦えることが幸せ」
「学会のお役に立てることが幸せ」
と、嘘をつき続けるのが嫌になったのです。
学会での私はずっと仮面をかぶったままで、
その仮面は何があっても取ってはいけないと
罰が当たるということとくくり合わせて教えこまれました。
人ととしての、危機感や動物的な勘でしょうか。
自分が壊れそうな時には、精神が「何か違う」と教えてくれます。
でも精神はなかなか自分でコントロールできるものではなく、
自分が自身の精神を理解をしたいと思わなければ
答えは近くなりません。
学会の存在意義・・・
それは世界平和と、人々の幸せだったと思います。
それが、今まで1度も幸せと思ったことが無い私が居て、
そこからして、私は学会の存在意義からかけ離れていたのです。
学会の先輩から言われました。
「一度も自分が幸せだと思った事がないなんて可哀相」って。
私が幸せになれないのは、あなたたちのせいなんだけど。何度心の中でツッコミを入れたか知れません^^;
でも今は、幸せは自分が作り、自分で継続させるものだと
心から思うことが出来ます。
それは組織から離れて、やっと自分が幸せと思えるようになったから。
幸せってこういうものなんだって、やっと理解ができました。
私にとっての幸せとは、
毎日のひとつひとつの出来事、助けてくれる人、
物や場所、全てに感謝すること。
私を生かせてくれる、心臓や、空気にも。
そして私を自殺させなかった、心の奥底の秘めた強さにも。
もし学会の中で戦々恐々としていたのなら、
そんな細かいものには気がつきもしませんでした。
幸せのためにやっていた学会活動が、
その社会での存在と同じように、世間に壁を作っていました。
幸せは祈って降ってくるものじゃない。
学会活動を頑張れば勝手に来るものでもない。
自分で努力して、気がつかなければ、
幸せがそこにあることに気づけない。
学会活動をしていて、本当に幸せだと思えるのならば、
私にはその人をとめる理由など何もない。
だって、それが学会の存在意義なのだから。
でも苦しんでまで、
その苦しみが魔だから戦えと指導されて我慢してまで、
続ける学会活動かと思ってしまうのが、今の創価学会。
何度も同じようなことをこのブログでは書いていますが、
最終的に行き着く結論は、これです。