学会3世、ありさのブログへようこそ。

「一行日記」に初めて来られた方は
この前身、「【復刻版】マインドコントロールと戦う日々」へどうぞ。
→ こちらをクリック

<<ご相談内容の格納庫>>
一行日記*二冊目*
→ こちらをクリック

<NEW>テキトー更新の三冊目は
→ こちらから

2009.1.3.
ご相談の受付を再開しました。
プロフィール内のメールフォームをお使い下さい。

※ご注意※
ご相談は2世・3世問題のみとさせて頂きます。
妄信会員様との論議は行いません。


<更新履歴>
2009.1.3. リンク切れを整理しました。
2007.9.10. リンク切れを整理しました。
2007.3.12. リンクを追加しました。
2007.3.6. リンクを追加しました。


2006年01月26日

お手柄転嫁

相変わらずなうちの母。

私がこうして組織を離れた後でも
なに不自由なく暮らしていられるのは
自分が題目をあげているからだと思っているフシがある。

子供の苦しみや、
子供自身が立ち直ろうとする努力を信じない母。

私だけは、こんな母親にはなりたくないと思う。

-----------------------

リンクのお願いに沢山のご連絡をありがとうございました。
順次内容を拝見させて頂いて、リンクをUPします。
どうぞよろしくお願い致します。

posted by ありさ at 10:14| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月20日

相互リンクのお願い

みなさま、こんにちは。
時間はあっという間で、1週間空いてしまい間ました^^;

以前サイドバーに置いていたのですが、
相互リンクのお願いをすることに致しました。
私が長旅で離れていた間にたくさんのブログも生まれたようで
回っても回っても回りきれません(笑)

学会に物申す系ブログは、横のつながりが大事と思います。
1つブログを見つけると、そこからどんどん他に移動できる、
そんな「道」を管理者どうしで作っておくのが
一番と思います。
こういうブログを探して訪問して下さる方は
とても不安だったり、精神的に落ち込んでいたり、
問題を抱えている人が多いと思います。
そういう方に1つでも多くの経験や情報を教えてあげられる、
それが「道」ならぬ「リンク」だと思うのです。

どうか賛同していただける方は、ご連絡をお願い致します。

メールフォームへ

posted by ありさ at 17:27| お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月12日

躁鬱世界

新聞のチラシに民間療法の案内があったので見ていると
適応症状に「躁鬱病」とあった。
そこでちょっと思ったこと。

躁鬱病は精神に問題がある人の病気だが、
よく考えたら、私は学会の活動に参加していた頃は
いつも躁鬱だったように思う。

会合で覇気に満ちて軍歌を歌ったと思ったら
居残り指導を受けさせられて、ワーワー泣いたりする。
”気分が頻繁に変わらざるをえない”状況になり
ハイテンションとどん底を毎日繰り返す。

学会員が躁鬱なのではない。
組織の体質が躁鬱なのだ。
普通の人間が躁鬱組織に居る事によって、
どんどんその環境に汚染され、精神が病むのだ。


最近学会組織の事を思い出してそのまま寝ると
寝ている間にものすごい食いしばりをしていて
顎も体もだるすぎて、翌朝起きれない事がある。
毒が抜けるのはまだまだ先かもしれません。
posted by ありさ at 13:17| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月04日

明けましておめでとうございます

また新しい年が始まりました。
どうぞよろしくお願い致します。

今年は引き続き「ぼちぼち書く」ようになると思いますが
お暇な時にはお付き合い下さいませ。
posted by ありさ at 11:35| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月28日

今年ももう終わりです

まったくもって、引き続き怒濤の年でしたが^^;
なんとか今年も無事に終わりそうです。

来年はもっと「生きる」事を楽しもうと思います。
あと数十年、生きていくことになると思いますが
あんなにバリ会員だった私がここ数年でほぼ麻薬も抜けて
まったく違った姿で生きていたりして、
この先何が起こるのか、予測なんて不可能です。
(学会へ戻ることはありえませんが)

もっと人間は、寄せては返す普遍の波に
身を任せてもいいかなと思います。
学会に居たら、まるでディープインパクトの津波に乗り
そのまま街を壊し大切な人までもを失いそうです。
仕事など毎日の糧は必要だけれど、自由でいられる部分では
とことん自由でいてもいいと思うんです。
私はその自由な選択肢から、
大海からやってくる普遍の小波を選びました。
悟りの境地とまでは行きませんが、
何となくその地が向こう側に霞んで見えてきた気がします。

年内はこれで最後になると思いますが、
また来年もよろしくお願い致します。

posted by ありさ at 11:25| お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月26日

自分の成り立ち

私はずっと学会の中で、
自分は特別な人間だと思ってきた。

法華経を持ち、創価学会の広宣流布の為に働く。
そうすればきっと幸せになれるのだから、
だから幸せの為に行動できている自分が
稀有な存在だと思っていた。
そして、実際にそうだと小さな頃から教えられてきた。

「この学会に出会えたことは幸せなことなのよ」、と。


でもなかなか幸せな気分にはなれなかった。
題目を唱えればすぐにでも願いは叶うと指導されるのに、
実際どうにもならなかったりすると
祈った分は来世で叶うよ、と言われる。
仏法上はそうなのかもしれないが、
そういう話の迷宮にとことん迷い込んでしまう。

私は今、生きていることに感謝しています。
苦しくて辛かった時、死ななくて良かったと思っています。
人間はいつまでたっても一人の人間で、
孤独で、最終判断はいつも自分に委ねられていて、
そしてその孤独を知っているからこそ
皆が仲間としてつながっていける。
辛い思いをして乗り越えた時、
人は一人なのだと理解ができました。
辛いから、みなで支えあえるのだと。

上手く言えないけれど、
私は一人の人間として生まれてきて、
一人の人間として生きているのであって、
それ以外の何者でもなく、どこまでも人間。
生きる以外にすることはなく
その「生きる」の中にどれだけの意味を探すかではなく、
本当にただ、生きるのみ。
自分を特別などと、かけらも思っていません。
意味を探さなくても、生きていると、楽しい事がたくさんある。
楽しい事を作り出すことをしなくても、
向こうから勝手にやってくる。

生きていることって、不思議だ。
生きるだけで、幸せ。生きるだけで、楽しい。
幸せなんて、あちこちにある。
それに気づけるか、気づけないか。

posted by ありさ at 18:23| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月19日

陽の当たる坂道

私の好きな曲のひとつに、
Do As Infinityの「陽の当たる坂道」という曲がある。
丁度私が毎日悶々としていた時に出会った曲。

その中に「何もかもが全部このままじゃ終われない」
という歌詞がある。

まさに私はこのままやりたいこと1つ出来ずに
人生終わってしまうのか?と思っていた時でした。
この曲を聴いて、本当にこのままじゃダメだと思い、
自分のモチベーションを上げました。

ここ2、3年、いつも「このままじゃダメだ」でした。
今まで犠牲にしたことへの悔しさ、
失ったものへの悲しさ、
全てを取り返すのにどれくらいかかるのかと
気が遠くなったりもしました。

でも不思議なもので、そういう気が遠くなる様な事も
楽しい事が起こり始めると一気に埋まってしまう。
楽しい事が少なかった分、ほんの小さな事でも大きくて、
おかずの付けあわせが1つ多い位でも嬉しくなる。

今までは「祈った功徳でおかずが1品多い!」とか
起こる事ぜーんぶ功徳のお陰にしたのだけれど
今では日常のあれこれ、全てが因果だと思っているので
バスで席を譲ったこと、会社の書類が早く出来上がったこと、
電話で少し丁寧な言葉を使ってみようと思ったこととか
人生を良くしよう、感謝して行きようと思ったことが
全部良い出来事につながっていると思えます。



今まで軍歌にかき消されていた私の人生のメロディが
かすかに聴こえ始めてきました。
それはとても滑らかで優しくて、
いつでも温かな風を運んできてくれます。


posted by ありさ at 10:51| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月13日

運命って…

最近、自分の根本運命は素直に受け入れようと思っています。
それは、人生の軌道修正は積極的にすべきだけれど、
創価学会の家に生まれてしまったのは決められた事実で、
0歳児の子供にはどうしても決定権限ないのです。

だから、前提としてあるものは全て受け入れ”利用”し、
ありとあらゆるものを私の人生のプラスになる物へ
変えてしまおうという方針です。

活動をやめたこの数年で学んだ最大のことは、
”逃げるということは世界で一番簡単なこと”。
その定められた運命から逃げないことです。

もし家を飛び出していたら、その時は学会と手が切れるけれど
世間に迷惑をかけるかもしれないバリ両親が気になる。
親と子は、いつまでたっても、親と子。
いくら好きでも嫌いでも、どうしたって縁は切れない。
そして逃げれば私自身が逃亡者扱いになってしまう。

学会に勝つ方法。
逃げない。死なない。病気にならない。
世の中に認められる立派な人間になる。
社会性を持ち他人に迷惑をかけない大人の人間になる。

そしてそれらを”誰に指示されることなく自分の意思で行う”事。

幹部に指導されてから気がつくのでは、遅い。
それにそんなエラそうな事をいう幹部が最低の人格な事も多く
私は活動家時代、誰の言葉を信じて良いのやらと言うことが
たくさんの機会でありました。

もしプロの歌手になりたいのなら、
そこら辺のプロになりそこないの先生に習うのはダメ。
もし会社の経営者として成功したいのなら、
大学の教授に教えを請うよりも、松下幸之助の本を読んだ方がいい。
学会だって、まるっきりそれと同じ。
素晴しい人格を持ち、心を豊かにしたいのなら、
そういう人と話をしないといけないと思う。
でも実際、こんな人になりたいなぁと思う幹部が
周りに誰もいなかったりする。
聖教新聞の汚い罵倒を読んだりすると、
私はこんな人たちのスピーチを聞いていたのかと思い、
余計に自分のこれまでの人生が悲しい。

ここまで多くを学ばせてくれた反面教師に、大感謝である。

私はまだ、バリの両親の下で暮らしています。
家は活動拠点で、たくさんの学会員が出入りしています。
ここの所、その皆さんたちと笑顔で話せるようになりました。
あちらは
「やっとありさが心を開いてくれた。
もしかしたら活動に戻ってくれるかもしれない」と
大勘違いしていると思います^^;
私はいつも彼らと話していて、
「ここで一生懸命活動を突き詰め真実にたどり着き、
まっとうな人間になれる様、修業して下さい」と
心の中で祈っています(笑)

posted by ありさ at 09:42| 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月11日

幸せになりたいから、やめたのだ。

ここでもう一度、言っておきたいことがあります。
それは

心の底から幸せになりたいから、やめたのだ。

ということ。

私は活動をやめたことを、まったく後悔していません。
活動をしながら、
「組織に居ることが幸せ」
「部員さんと一緒に戦えることが幸せ」
「学会のお役に立てることが幸せ」
と、嘘をつき続けるのが嫌になったのです。

学会での私はずっと仮面をかぶったままで、
その仮面は何があっても取ってはいけないと
罰が当たるということとくくり合わせて教えこまれました。

人ととしての、危機感や動物的な勘でしょうか。
自分が壊れそうな時には、精神が「何か違う」と教えてくれます。
でも精神はなかなか自分でコントロールできるものではなく、
自分が自身の精神を理解をしたいと思わなければ
答えは近くなりません。

学会の存在意義・・・
それは世界平和と、人々の幸せだったと思います。
それが、今まで1度も幸せと思ったことが無い私が居て、
そこからして、私は学会の存在意義からかけ離れていたのです。
学会の先輩から言われました。
「一度も自分が幸せだと思った事がないなんて可哀相」って。

私が幸せになれないのは、あなたたちのせいなんだけど。

何度心の中でツッコミを入れたか知れません^^;

でも今は、幸せは自分が作り、自分で継続させるものだと
心から思うことが出来ます。
それは組織から離れて、やっと自分が幸せと思えるようになったから。
幸せってこういうものなんだって、やっと理解ができました。

私にとっての幸せとは、
毎日のひとつひとつの出来事、助けてくれる人、
物や場所、全てに感謝すること。
私を生かせてくれる、心臓や、空気にも。
そして私を自殺させなかった、心の奥底の秘めた強さにも。

もし学会の中で戦々恐々としていたのなら、
そんな細かいものには気がつきもしませんでした。
幸せのためにやっていた学会活動が、
その社会での存在と同じように、世間に壁を作っていました。


幸せは祈って降ってくるものじゃない。
学会活動を頑張れば勝手に来るものでもない。
自分で努力して、気がつかなければ、
幸せがそこにあることに気づけない。
学会活動をしていて、本当に幸せだと思えるのならば、
私にはその人をとめる理由など何もない。
だって、それが学会の存在意義なのだから。
でも苦しんでまで、
その苦しみが魔だから戦えと指導されて我慢してまで、
続ける学会活動かと思ってしまうのが、今の創価学会。

何度も同じようなことをこのブログでは書いていますが、
最終的に行き着く結論は、これです。
posted by ありさ at 16:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月07日

中間報告

投稿をやめてから3ヶ月が経ちました。
色々な方から「時々は元気かどうか知らせて!」と言われ
私がどれだけ皆様に支えられているかということに
大きな感謝の気持ちでいっぱいです。

両親も余分な活動を自粛、私にも圧力をかけません。
ここにきてやっと私の苦しんだ事に理解を示してくれ、
こちらも気分が楽になりました。
今とても幸せな日々を送っています。
ある1つの事を除けば。

それは両親に、
「他の嫌な事は全部許すが、
私を入信させたことは一生許さない」と宣言した事です。

許さないという事は、自分にとっても大きな負担です。
人間は不思議なもので、許すと心が軽くなるもの。
でも私はあえて「許さない」という道を選びました。
両親には来世まで、私が許さないというカルマを
きちんと持っていって欲しいのです。
今世で新興宗教に出会ったのですから、
きっと来世でもどこかで出会うことがあるでしょう。
その時に子供が生まれ、また無条件で入信させるような
悲しい出来事があるであろう時には
自分で”気が付いて”欲しいのです。
脳が麻痺した状態で子供を育てるのがどれだけ危険か
ちゃんと来世でも”自分で”考えてもらいたいのです。
それがカルマの与えてくれるチャンスだと思うのです。
なーんて、実は前世でもそんなことがあって
今がやりなおしの最中だったりして(笑)
そしてまた私が両親の子供に生まれてきたら
これ以上の皮肉はないですね(-_-;)
でも誰か他の人が両親の元に生まれてきて
更に辛い目にあったりする運命なのであれば、
私が手を上げて再度生まれ変わってもいいと思います。
今世でこんなに鍛えられましたから、
きっと生まれ変わっても強いヤツになるでしょう。


その他の事では目指している夢にも大きな進展があり、
一日が24時間ではまったくもって足りません。
毎日がとても楽しいです。
自分のすることに対して、周囲が喜んでくれる人生…
学会浸りで周囲への迷惑を省みずだった25年間に
もし今と同じ経験をしていたら
私の人生は今頃更に光を増し、
実りあるものになっていたことでしょう、と
何度も思いましたが。。。

しかしここにきて、私は創価学会に感謝しています。
勿論、苦しかった日々はもう戻ってきません。
でも私がライフワークとしていきたいことは
たくさんの人と共存し、また切磋琢磨し、
力をつけてこそ成長していける分野です。
信念と努力がなければ、なかなかできないことです。
私は学会で、信念は人を動かす事、努力をすること、
信じること、人を大切にすることを
反面教師として学びました。
もちろん、ちゃんとした学びもありましたが。
学会に帰ることは一生ありませんが、
私は辛い経験を元に、確実に成長をしました。
そしてやっとその成長を自分で実感できて
学会活動も少しは役に立ったのだななと
ようやく思えるようになったのです。
そう思うと真面目に活動してきてしまった25年間を
棒に振ってしまった!と思わずに済むので
逆に心の重荷が減って良かったりして。

あー、学会幹部のみなさん、もったいないですね。
私の様な芯の強い人材を手放しちゃって(笑)
今の私はマインドコントロール無しで強いですよ。
育て様によっては、今頃全国女子部長だったかも!

ということで、ヒマな時はまた不意に現われるかもなので
よろしくお願いします♪

posted by ありさ at 10:25 | TrackBack(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。